夢の尻尾



始めてみたグランドキャニオンは何層にも重なった山肌
の絶妙なるグラデーションが彼方まで広がっていた。


当時住んでいたアリゾナ州フェニックスから
車で約8時間。
友人に誘われて初めてキャンプの旅に出た。
途中の道は赤土と岩とサボテンの土漠。
まるで火星のような景色を連想させる。
ゆらゆらと空気が揺れ、
遠くに蜃気楼が現れるような気がした。


車の外は摂氏45度を超えている。
車のフロントウィンドーを通して
真っ直ぐ射し込む太陽の光が眩しくて、
サングラスをかけていても涙が止まらず。


時々、ガススタンドで給油がてら休憩する。
車を降りると、たちまち熱風が体を包み、
息苦しくなって慌てて水分を補給する。
空気が乾いているので
身体からどんどん水分が蒸発して、
汗をかかずに塩分だけが身体の表面に残る。
ガススタンドの御手洗いでじりじりと焼けた肌に
思いっきりざぶざぶと水を沁み込ませる。
カラカラに渇いた皮膚の表面が柔らかくなってくる。
人間の身体がどれだけ水分を必要としているのか、
初めて身を持って体験した。


延々と続くインディアンリザベーションの道は
はるか地平線までどこまでも真っ直ぐ伸びている。
360度見事に平らで日頃の遠近感が
まるで役にたたない。
猛スピードで走る友人のピックアップトラックが作る
砂煙だけをひたすら目標にして追いかける。
かなたにある卓上台地(メサ)の景色は
いくらアクセルを踏んでも流れる様子もない。  
前に進んでいる感じが掴めない。
自分が何処へ向かっているのかさえ
覚束ない気持ちになる。


車に積んだ地図と磁石、
そして10ガロンの水と食料だけが頼りになる。
それでも、友人のアドバイスでそれなりの準備は
一応できている。
日差しから身体を守る為の帽子や衣類、
それとトレッキングシューズ。
テントや寝袋やシャベル、それにキャンプ料理用の
コンロなどの道具類もある。


キャンプになれた友人の真似をして、
グランドキャニオンのノースリムの崖っぷちで
テントを張るが四苦八苦する。
断崖絶壁から約10メートルの距離。
下を覗くと目眩がしそうだった。
平気な顔をして夜、テントに入ったけれど、
奈落の底に吸い込まれそうな感覚に襲われてしまう。


真夜中……。
テントの下の岩肌から沈黙が伝わってくる。
風の音も、虫の声も、木々のざわめきさえもなく、
ひたすら何かの音を聞き取ろうとしても、
全くの無音状態で……寝れない。


少し不安になって、
おそるおそる一人でテントの外に出て見る。
すると、地平線の彼方まで被い尽くすような
満天の星が、静かに澄み切った世界に
ただじっときらめいていた。
音の無い世界に天上から
光がシャワーのように降りそそぐ。 
あまりにも沢山の星の輝きに星座は関係の意味すらも
失っているように見えた。
いつのまにか時の流れさえ忘れ、
ただ空を見上げ続けた。


すると流れ星が、ひとつ、ふたつ……。
まるで目が覚めるとすぐに忘れてしまうおぼろげな
夢の尻尾のように流れては消えて行った……………。




そんな夜を越えて。
透明感溢れる冷たい大気にセイジの匂いが交じる
静かな朝。 
ノースリムに別れを告げ、観光客の溢れるサウスリムの
ウォッチタワーを訪れる。
前日に感じたような何かに対する畏敬や恐怖感も
少し薄れてくる。


ウォッチタワーのみやげ物屋に入ると、
窓ガラスを挟んで中からグランドキャニオンが見える。
彼方には緩やかに流れるコロラド川が光る。 
そして手前に商品としてのインディアングッズの数々。
彼らのスピリチュアルなシンボルやアイコンが並ぶ。


簡単に何でも手に入る快適さに慣れきった我々が、
手軽に求めることのできる
インスタントスピリチュアルグッズ。


一人の観光客としてここからの景色を眺めると、
長い年月の間に、侵食されて出来上がった
グランドキャニオンそれ自身の成り立ちのように、
彼ら(ネイティブアメリカン)の文化の記憶も
コロラド川の記憶の流れのように
侵食され続けているように感じる。


しかし、ノースリムの崖っぷちで体験した
あの不思議な夜は私が忘れかけていた場所のもつ
聖性やスピリットの意味など、
いろいろなものを肌でより深く
感じさせてくれたように思う。
目に見えるものだけではなく伝わってくる何か。
そんなことを思いながらもう一度、
彼らのスピリチュアルなシンボルやアイコンに
目を向ける。
旅は日常の中に埋没している自分を、
自分探しのきっかけに誘ってくれる。
そんなことを思い連ねていると
またあの暑くて乾いた大地に戻りたくなってしまう。